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名称を巡る綱引き:高山族、台湾族、山地同胞
二・二八事件に伴う虐殺は、先住民族のエリートたちが先住民族の権益のために声を上げることを阻むには至らず、「正名(先住民族固有の名称を取り戻すこと)」、「還我土地(先住民族の伝統領域を取り戻すこと)」、先住民族の「生存空間」から「山地行政」まで様々な議題が議論されるようになりました。しかし、年代になり白色テロの恐怖が社会を覆うようになると、先住民族のエリートたちも逮捕されたり銃殺されたりするようになったのです・・・
1947年3月のはじめ、シシン(南志信)は高山同胞の呼称を「台湾族」とすべきだとする「正名」を呼び掛けました。同年6月8日、ロシン・ワタン(日本名:日野三郎、漢名:林瑞昌)は大豹社をもとの場所に戻す請願を行い、その際に「台湾族」の呼称を使用しました。南志信は6月13日の省府委員会第5次会議後の談話でも「台湾族」の呼称を使用することを提言しました。しかし、6月14日、秘書処が民政庁に周知したのは、先住民族に関する呼称を「山地同胞」に改めるということでした。
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