『台湾新生報』は1947年3月4日、処理委員会が台北市臨時治安会を召集し、「忠義服務隊」の結成を決議したこと、並びに許徳輝を総隊長兼治安組長に推薦したことを報じた(左)。しかし、国防部保密局「二二八事件報告書」では、通信員の許徳輝が高登進の偽名で組織への浸透を図ったことが明らかにされている。許徳輝は、二重スパイとなり、情報を収集したほか、意図的に民衆の感情を扇動して対立を煽った。後に、許徳輝は機に乗じて、「忠義服務隊」のメンバーが武器を手に政府を攻撃すると密告し、その結果、多くの学生が逮捕され命を落とした