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近代化教育

台湾の先住民族は、それぞれに多様な言語を持ちます。文字で書かれたものはオランダ時代にさかのぼると、シラヤ族の新港文書があります。明や清の時代になると、先住民族の言葉に近い発音の漢字をあてた音訳表記が見られるようになりましたが、系統的なものや、その後も長く使用されたものはありません。


近代国家による統治では、公用語の普及が国家政策や人びとの知識向上につながる重要なツールとみなされました。このため日本は「国語(日本語)」教育を積極的に行いました。これは統治の必要から行ったことでしたが、これによって台湾の先住民族たちは共通の言語によって交流ができるようになりました。それは図らずも、共通の問題に対するエスニック・グループ同士の結束を強めることにもつながったのです。


台湾の先住民族たちは日本語を通して新しい知識を学習し、世界を知り、思考を記録し、感情を表現し、意思疎通や情報伝達を行うようになりました。そして、その中から進歩的な思想を持ったエリートたちが生まれました。

1927年、ソ連の東洋言語学者ニコライ・ネフスキーが台湾を訪問した際、ウオグ・エ・ヤタウヨガナ(日本名:矢多一生、漢名:高一生)がそのツオウ語の調査に協力しました。調査の成果は1935年に出版されましたが、これはツオウ族の言語と文化を記録した最初の書籍となりました。しかし、この書籍に貢献した2人はその後、奇しくも似たような最期を遂げます。ネフスキーは1937年、スターリンの下で「大粛清」が行われた際、日本のスパイ容疑で日本人妻とともに逮捕・処刑され、1957年になって名誉回復を果たしました。ウオグ・エ・ヤタウヨガナもまた、1954年に中華民国政府によって無実の罪で処刑されましたが、2018年に名誉回復を果たしています。

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