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受難した淡江中学関係者:黄阿統の家族の苦境

黄阿統が行方不明になった後、妻は終始、夫が受難者となったという事実を受け入れることができず、あらゆる手段で夫の行方を探しました。似た人がいると聞けば、どんなことをしてでも、袖の下を渡してでも本人かどうかを確かめようとしましたが、騙されたこともありました。また、クリスチャンでありながら、神に背くこともためらわず、台湾の伝統的な儀式「牽亡」を通じて死者の魂を呼び戻したり、霊媒師「乩童(タンキー)」に尋ねたりして夫の行方を探し求めました。1989年に亡くなる前も、子どもたちに必ず黄阿統の行方を探し続けるよう伝えたといいます。


 白色テロの時代、以前はとても良くしてくれた親友であっても、恐怖に支配された雰囲気の中にあって、自身の安全が脅かされることを恐れ、救いの手を差し伸べることをためらうことがありました。そうした状況にあった黄家は孤立無援の中、なおも強い意思をもって歩んできました。しかし、黄阿統の弟はこうした家庭の事情から一度は学業を諦めざるを得なかったほか、兄の行方が知れないことが精神状態に影響を及ぼした時期もありました。

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