台湾先住民族と二・二八: ____を返せよ

会期:2022年12月23日(金)~2023年6月25日(日)・毎週月曜日休館
開館時間:10:00~17:00(入場は閉館の30分前まで)
会場:二二八国家紀念館 二階南翼/台北市中正区南海路54号
後援:內政部
主催:二二八事件紀念基金会、国史館台湾文献館、二二八国家紀念館


1895年に日本の台湾統治が始まり、台湾の先住民族たちは初めて近代国家と遭遇しました。新しい教育、文化、物質、技術などは、台湾の先住民族の思想に刺激を与えると同時に、伝統文化の価値を脅かす存在にもなりました。日本統治時代、台湾の先住民族たちは近代文明を吸収し、それをエスニシティ発展の動力に変えていきました。しかし一方で、植民地制度はじわじわと先住民族の経済、政治、文化方面の自主性をむしばんでいったのでした。

1945年、日本が戦争に負け、中華民国が台湾を接収しました。その2年後に「二・二八事件」が勃発し、台湾全土に激震が走りました。各地の先住民族はこの中で、集団で事件に参与した部族もあれば、介入を回避した部族もありしました。対応はさまざまでしたが、それはいずれも部族の指導者が部族を主体として考えた末の選択でした。「二・二八事件」において、先住民族に対して大規模な弾圧が行われることはありませんでした。しかし、先住民族としてのアイデンティティを明確に持つ一部の先住民族エリートたちは、その後の「白色テロ」で粛清の対象となりました。例えば「湯守仁(ヤプスヨグ・エ・ユルナナ)等の反乱事件」では、一部は懲役刑となり、一部は安坑刑場で処刑されました。戦後初期に叫ばれた「高山自治(先住民族の自治)」、「帰還土地(土地の返還)」、「正名(先住民族固有の名称を取り戻すこと)」などの主張は、日々厳しくなる監視と社会的制約を受けて声を潜め、公の場で訴えることが難しくなりました。また、その後に行われた「中国化」の文化政策は、先住民族の言語、文化、アイデンティティ、そして歴史を徐々に失わせていったのでした。

今回の展示は「台湾先住民族と二・二八」をテーマとし、先住民族のために歴史と真相をつまびらかにし、「二・二八事件」という公共の記憶から先住民族を取り残さないようにするためのものです。