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高山自治 案内状

ツオウ族のウオグ・エ・ヤタウヨガナと安猛川は、それぞれ日本名である「矢多一生」、「安井猛」の名前で「案内状」と「附記」をしたためました。この案内状は、先住民族の数百年にわたる命運を一言でずばり表現すると同時に、自治の要求をストレートに訴えるものでした。

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先住民族の汎民族意識:高山自治

平地での動乱が発生したのと同じ頃、先住民族たちもまた、自発的に他の部族との会議を開くなどして、これからの「理想郷」について話し合うようになっていました。ツオウ族のウオグ・エ・ヤタウヨガナと安猛川は、それぞれ日本名である「矢多一生」、「安井猛」の名前で「案内状」と「附記」をしたためました。この案内状は、先住民族の数百年にわたる命運を一言でずばり表現すると同時に、自治の要求をストレートに訴えるものでした。


当時の先住民族の指導者たちは民主主義の下で、先住民族を主体として平和的に先住民族の居住地が画定され、そして自治が実現することを望み、「全島高山の諸賢士諸先生方」に話し合いを呼びかけたのでした。


この動きは政府によって「反乱」とみなされ、その他の先住民族からも積極的な支持を得ることはありませんでした。しかし、こうした汎民族の自覚を伴う行動は先住民族の観点を十分に示すもので、先住民族の集団闘争の原型となるものでした。


高山自治 案内状


混沌タル台湾ノ社会情勢ハ吾等高山地區ニモ影響シ産業、教育、衛生等ノ諸建設ニモ支障ヲ来タスコト尠カラズ。依ッテ吾等ハ新タナル構想ノ下ニ高山地区ヲ理想郷ニ致ス可ク政府ノ指導ヲ仰ギ且ツ平地人特志家ノ支援ニ基キ高山地帯(山岳全部)一帯ヲ主体トスル高山地区自治行政ヲ検討シ現今ノ社会不安ヲ一掃シ明朗ナル高山地域ヲ建設セントス。高山地区各先輩及有志家ハ左記ノ期間及場所二御参堂願ヒ上ゲ度 御案内申上ゲマス。


高山自治ノ一例トシ別表添付致シマシタレハ尚左記事項其他二付予メ御構想シ被下資料之蒐集相成度願ヒ上ゲマス



一、集合場所:台中県霧社元分室(現在の南投県警察局仁愛分局霧社派出所)

二、集合日時:民国36年(1947年)4月10日

三、携帯品:旅行二用スル諸費用及日用品

四、高山自治資料研究持参ノコト

五、集合人員:一郷二2名


資料


(1)械構:現行ノ平地二於ケル械構不適ナリトセハ如何ナル械構ヲ必要トスルヤ

(2)人材:山地居住スル平地人モ包含スレハ人材二過不足ナキヤ

(3)財政:高山地区地方費大ニテ間二合フヤ

(4)区域:経済文化、産業上適当ナル地域ナルヤ


民国36年3月17日

台南県呉鳳郷民代表

代表者 矢多一生

代表者 安井猛


附記

(一)台湾の原住民であり主人公である可き吾等高山族は数百年の間常に時の政府に忠寔であるにも拘らず平時は生蕃又は蕃人と侮蔑せられながら、其のくせ何か武力に訴へることが出来ると急に山の人は勇敢だとか正義の強者だとかおだてられ、一部平地人の野心家革命家に扇動され可愛さうに平地人の弾丸よけとなって犠牲者を出すばかりでなく遂には土匪の罪名をなすりつけられて討伐を受けること――。

(二)結局数百年来の高山族の運命は大方前記の様な悲惨な運命に追ひ込められたものであります。幸ひにも民主主義が台湾のモットーなりました此の際民主主義的に高山全民の幸福のために吾々高山族が一致団結して平和交渉の裡に高山族が本当に主人公であると言ふ区域を設定して、これを区とし然かも此の区(高山区署兼警察局)は県長及長官には隷属するも其れ以外に対しては一切自主に山地区域の自治建設をなす様な本当の高山族平和境を建設致し度いと思ひます。

全島高山の諸賢士諸先生方!!

何卒御教尊の上 上記の場所に於て打合が出来る様伏して御願ひ申上げます。

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