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傷が癒えぬ間に次々と襲う恐怖

どの被害者の死も、一つの家庭、一つの集落の痛みと恐怖を代表するものです。権威主義の政府は分断を図り、被害者を互いに敵視するよう仕向けました。日本の植民統治によって、台湾の先住民族たちは大規模な文化の喪失、土地の喪失という難題に直面しました。このため第二次世界大戦後、先住民族のエリートたちは新政権に先住民族の権利を承認してもらおうと試み、新たな統治者がこれまでの植民地政府と異なり、先住民族にしかるべき権利を与えてくれるよう期待を寄せました。しかし、最終的に直面することになったのは、国家暴力による先住民族エリートへの直接的な迫害であり、先住民集落に対する文化や言語面での中国化政策の強制、そして新たな植民地統治だったのです。台湾の民主化が進むにつれて、政府は法制面において先住民族の権益保護を重視するようになりました。しかし、先住民族の文化の復興や伝統領域の画定などの根本的な生存権が保障されるにはまだ長い道のりが残されています。


傷が癒えぬ間に次々と襲う恐怖

二・二八事件や白色テロは先住民族にとって、単なるエスニック紛争やイデオロギー的な圧迫にとどまらず、先住民族全体に対する抑圧でした。「湯守仁等の反乱事件」に続いて、「台湾蓬莱民族自救闘争青年同盟」、「台湾山地独立運動案」、「山防隊」などの事件が、先住民族を繰り返し苦境に陥れました。


先住民族の白色テロ被害者たちは、出所後も多くが家族や友人らとの連絡を絶ち、社会的に孤立しました。公安が監視網を張り巡らせる中で、彼らは就職先を探すにも苦労しました。先住民集落からも受け入れられず締め出されたのであれば、母体文化から切り離されることを意味しました。同じ状況は、被害者家族たちの身にも発生しました。

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