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受難した淡江中学関係者:郭曉鐘

郭曉鐘は台南出身で、二・二八事件の際、淡水中学で学んでいました。事件発生後、淡水中学の校長、陳能通は、情勢が芳しくないと感じ、3月初旬に休校を決め、学生寮住まいの中南部出身の生徒達を急遽、帰省させました。しかし、数名の生徒は残っており、郭曉鐘はそのうちの一人でした。


3月10日、淡水中学の学生寮に住んでいた郭曉鐘は、淡水鎮港務局弁事処の正面の理髪店の前にいたところ、突然、通りになだれ込んできた兵士に射殺され亡くなりました。遺体は学校に運ばれ、体育館の倉庫に安置されました。そして、校長の陳能通と教務主任の黄阿統は、簡素な棺を作り、郭曉鐘を葬りました。


郭曉鐘の兄、郭曉舟は、弟が国民政府軍に射殺された後、淡水中学の校長、陳能通の家で対策を話し合いました。しかし、3月11日の早朝、陳校長の家で校長とともに捉えられ、トラックに乗せられました。郭曉鐘らは、まず沙崙の海辺で縄でしばれ、三日後、再び車に押し込まれました。郭曉舟は途中で車から降ろされましたが、陳能通の行方はわかっていません。郭曉舟の陳述によると、つかまっている間、殴打されたり、虐待を受けたということです。

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