財団概要
組織構造
当会は法に基づき、政府によって設立されました。「財団法人」の性質で政府から二・二八事件の処理を請け負っています。組織は意思決定部門と実務部門で構成されています。概要は以下の通りです。
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董事会(取締役会)
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監査役
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実務部門
基金会の業務運営
二・二八事件の処理は物質的補償と精神的救済の二つの側面から行われます。基金会が1995年以来行っている業務のあらましは以下の通りです。
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被害者への賠償金の交付
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教育普及および真相研究
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歴史の痛みの治癒および名誉回復
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エスニックグループの調和促進
おわりの言葉と展望
1947年の二・二八事件発生後、台湾では38年に及ぶ戒厳令が敷かれました。そのため、名誉回復運動は戒厳令解除(1987年)後になって初めて推進されました。民間人からの働きかけを受け、政府は1990年にようやく事件に向き合い始め、1995年に法を制定し、処理機構を立ち上げました。当会は初期、賠償や記念行事、慰藉を業務の重点としていましたが、2000年の政権交代後は真相究明や歴史、教育、文化方面から考察する方向に転換しました。政府は2007年に当会の常設機構化を決め、2009年の法制化によって当会は「二二八国家紀念館」の運営を「記念、教育、文化」の3つの方向で行うとともに、国際交流のプラットフォームを築き、台湾の移行期の正義を実践し、二・二八事件の歴史を継承するという役割を担うようになりました。
紀念館紹介
当館は角地に位置し、道路の境界線と建物までの間に空間を残すセットバックと呼ばれる手法により、歩道と花壇のスペースを確保しました。交差点に面する両側は線状の空間配列とし、建物を上から見るとL字状になっています。建物全体の配置は泉州街と南海路の交差点に面する「車寄せ」を主要入口の目印としており、そこからつながる「玄関」や「広間(ロビー)」、「階段室」などが建物の主要な動線となっています。両翼の両端にはいずれも階段室が一つずつ設置されており、次に重要な垂直動線となっています。
当館は「セットバック」と呼ばれる手法で設計されており、建物の中央部を奥に向かって高くし、両翼よりも高さを出すことで奥行きを持たせています。建物に近づくにつれてより際立って見えるようになり、全体の輪郭から細部までをじっくり味わえる設計となっています。
当館は日本統治時代の1931年に落成しました。台湾の歴史の変遷や政権の移り変わりに伴い、それぞれの時代において重要な役目を果たしました。
来館案内
開館時間及び交通アクセス
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開館時間:火曜日〜日曜日 10:00〜17:00(入場は閉館の30分前まで)
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バス:
1、204、630は「建国中学」で下車
243、248、262、304、706は「中正二分局」で下車
南昌路の各路線バスは「南昌路」で下車 -
MRT:「中正紀念堂」で下車。1番または2番出口を出て、南海路を西に10分ほど歩き、重慶南路二段を渡ったところ。