特別展示
二二八後の私たち-次の世代は歴史をどう解釈するのか

 發佈日期:2019-11-18

会期:2019年12月7日(日)~2020年5月17日(日).毎週月曜日休館
開館時間:10:00~17:00(入場は閉館の30分前まで)
会場:二二八国家紀念館 二階南翼/台北市中正区南海路54号
後援/内政部
主催/二二八事件紀念基金会、二二八国家紀念館
主管/宜東文化創意有限公司

1947年、台北の天馬茶房前における闇タバコ取締りをめぐって起こった衝突は、二二八事件勃発の導火線となりました。この事件では、台湾社会のエリートたちが犠牲となり、多くの台湾人が謂れなき罪のために命を落とし、傷つき、自由や財産を奪われました。1949年、国共内戦に破れて台湾に撤退した国民政府は台湾に再び戒厳を布告しました。以来、38年の長きに渡り施行された戒厳令は、台湾に深刻な影響を与えました。

戒厳令下では二二八事件を話題とすることがタブーとされました。このため台湾の多くの人々は、自らが住む台湾の歴史を知ることができませんでした。近年、ソーシャルメディアの発達により、より多くの人々が学校教育で習わない現代社会の問題に気づき始め、二二八事件を題材とした、この土地に関するより多くの物語の執筆を試みるようになりました。その切り口は民主化の波によって変化し、二二八事件に対する世代間の認識の違いを反映しました。私たちは世代間の認識の違いから対話のきっかけを作り、二二八事件と民主主義、人権などについての理解を深められるよう期待しています。

 

二二八についてどのくらい知っていますか

二二八事件とは何でしょう?犠牲者の家族にとっては決して消えることのない痛みですが、一般の人々にとっては国定の休日の一つであったり、若い学生たちにとっては教科書に載っている内容にすぎなかったりするでしょう。しかし、この事件は、1947年の闇タバコ取締をめぐる衝突によって起きた抗争事件というだけではなく、戦後台湾での陳儀による多くの失政や、台湾が中国と50年もの間隔絶された後に再び交わったことによる文化的衝突など多くの要素が入り混じったことで発生したものです。この事件では、国民党軍によって粛清や虐殺が行われ、台湾全島から社会エリート層が姿を消し、近代台湾史上における非常に大きな悲劇となりました。戒厳令の解除後、ようやく二二八事件に関する議論がなされるようになりましたが、果たして今日の台湾社会は二二八事件のことを、より客観的に認識しているでしょうか。歴史への問いかけを繰り返し、因果関係を探ることで、歴史の本来の姿を描き出しましょう。

 

専売制度
  • 台湾省専売局は樟脳、食塩、タバコ、酒等の専売を行い、大きな収益を上げていた。戦後間もないころは専売局内で汚職や横流しなどの不正行為が広まり、加えて密輸も横行し、取締官の訓練も行われていなかったことから、台湾社会に悪い印象を与えていた。
闇タバコ取締衝突
  • 専売局の取締官が台北の天馬茶房前で闇タバコ売りの女性、林江邁を取り締まった。その際のトラブルにより、現場で衝突が起こった。取締官が威嚇発砲した弾が近くにいた市民、陳文渓に当たって死亡。これがきっかけで台北市民の不満や怒りが爆発した。
新聞報道
  • 『台湾新生報』は行政長官公署の機関紙だった。闇タバコ取締による衝突が起こった2月27日の夜、人々は同新聞社に押しかけ事実に即した報道を要求した。新聞社は群衆の圧力を受け、連日、二二八事件に関する台湾各地の様子を伝えた。
ストライキ
  • 2月28日、闇タバコ取締に起因した衝突の翌日、発砲事件の解決を求めた台北市民は陳情の道々、ドラを叩きながらストライキを呼びかけた。これに応じた市民や商店が次々と店のシャッターを下ろした。
長官公署における銃撃事件
  • 2月28日、憤懣やるかたない群衆は専売局へ抗議に向かった。午後には、陳儀行政長官に解決を求めるため、行政長官公署へ向かったところ二階から衛兵による機銃掃射を浴び、死傷者が多数出た。この衝突により事件は急速に広がり、台湾全島での抵抗へとつながっていった。
二二八事件処理委員会
  • 3月1日、台北市参議員、国民大会代表、台湾省参議員等により「緝菸血案調査委員会」が組織され、陳儀行政長官に対し「戒厳令解除」、「逮捕された民衆の釈放」、「軍、警は発砲してはならない」等の要求を行ったところ、陳儀はこれを全て受け入れた。委員会は名称を変え「二二八事件処理委員会」となった。
政治改革
  • 二二八事件処理委員会は陳儀に政治改革案「32条処理大綱」を提出した。その内容は、「県・市の首長及び議会の民選」、「専売局の廃止」、「任意に逮捕してはならない」、「言論、出版、集会の自由の保障」等を求めたものだった。
ラジオ局
  • 当時、ラジオは情報伝達の重要な手段だった。闇タバコ取締に起因する衝突後、台北市民は台湾広播電台(台湾ラジオ局:今の台北二二八紀念館)から流血事件を伝えた。嘉義広播電台も状況が逼迫した際、水上機場(飛行場)に駆け付けて抗議行動に力を貸すよう近隣住民に呼びかけている。
戒厳令
  • 二二八事件の発生後、何度も戒厳が実施された。2月28日、抗争拡大後、陳儀は台北市に戒厳を実施。翌日、事件処理委員会の要求に応じこれを解除した。3月9日、「陸軍整編第21師」部隊が台湾に到着すると、陳儀は台湾全土に戒厳を実施し、事件処理委員会の解散、新聞社の閉鎖等を命じた。
大虐殺
  • 「陸軍整編第21師」は、基隆及び高雄港から台湾に上陸後、台湾全土で大規模な身柄拘束を行った。武力で抵抗する民兵も平和的改革を求めるエリート層も軍隊・警察・憲兵・特務に粛清、虐殺された。
武力鎮圧・粛清
  • 3月17日、国防部長(大臣)の白崇禧が台湾に「慰問視察」に訪れた。3月20 日、陳儀は『為実施清郷告民衆書(清郷実施ノ為メ民衆ニ告グルノ書)』を発し、戸口調査、武器供出等の方法を用いて粛清を実施。捉えられ銃殺される人々があとを絶たなかった。その多くが司法による審判を経ていない。
学校
  • 二二八事件は台湾全土に広がった。台湾大学、台湾省立師範学院、延平学院、台中の私立建国工芸職業学校、嘉義中学、高雄第一中学等では、学生たちが治安維持に努めたほか、抗議行動に加わった者も少なくなかった。
文学
  • 二二八事件が台湾に与えた影響の深さは文学にも見ることができる。人々による自衛や抵抗を題材とした作品には『農村自衛隊』、『台湾島上血和恨』がある。呉濁流の『無花果』、『台湾連翹』に見られるように、作品中に政治の暗黒な一面を描いた作家もいた。
海外での出版物
  • 1950年代以降、日本やアメリカ等に住む台湾人により、毎年事件を記念する集会が開催され、関連報道や分析も行われるようになった。1961年、雑誌『台湾青年』は「二.二八事件特集号」を組み、初めて完全な形で二二八事件を紹介した。
党外雑誌
  • 二二八事件は、民主主義と自由を追求する歴史言説の発端となった。1980年代以降、『前進』、『深耕』、『鐘鼓鑼』等の党外雑誌で事件に関連する報道がなされ始めたが、いずれも政府から発禁処分を受けた。
政治的啓蒙
  • 1965年に出版された『Formosa Betrayed(裏切られた台湾)』は、米国駐台北副領事だったジョージ・H. カーが当時見聞した二二八事件を記したもの。台湾の人々には自決の権利があるという主張も盛り込まれていたことから、海外に出ていた台湾の学生たちはこれに政治的啓蒙を受け、次第に台湾独立を支持するようになっていった。
二二八和平日
  • 事件発生から40年後の1987年初め、台湾人権促進会会長の陳永興、弁護士の李勝雄、『自由時代周刊』を創刊した鄭南榕が「二二八和平日促進会」を組織し、二二八事件の公式記念、事件の真相解明、犠牲者の名誉回復を要求した。
映画
  • 二二八事件を描いた映画はいくつかある。1989年の『悲情城市』では戦後初期の台湾社会が、1999年の『天馬茶房』では当時の文化の違いから生じた衝突が描かれ、2005年の『傷痕二二八』では当事者との対話や歴史の再構築といった手法で事件の様子が再現された。
記念碑
  • 最初の記念碑は民間によるもので、1989年に嘉義市彌陀路に建てられた。国の記念碑としては1995年に台北市の二二八和平公園に建てられたものが最初だったが、犠牲者の家族から、まだ真相が解明されていないとの抗議を受け、1997年にようやく碑文が刻まれた。
国家元首による謝罪
  • 1995年、二二八事件48周年の年、李登輝総統は二二八紀念碑落成式典において、初めて国家元首として政府を代表し、二二八事件の犠牲者家族及び全国民に対して謝罪した。
プロジェクトチーム
  • 1991年、行政院に「二二八事件専案小組(=二二八事件プロジェクトチーム)」が設立され、事件の調査研究が行われた。これまで事件は政治的タブーとされ、資料が散在していたため、各地で事件資料の収集や聞き取りを行った。1992年、『二二八事件研究報告』を公開。これは政府が発表する初めての二二八事件調査報告となった。
和平紀念日
  • 1995年、初めて2月28日が「和平紀念日」に定められたが、当初は休日ではなかった。1997年以降、国定の休日となった。
夜8時の連続ドラマ
  • 『台湾百合』は2004年に放送が始まったテレビドラマ。二二八事件から始まり、事件後、台湾の人々が1960年から1970年代の白色テロ時代に受けた迫害を描いた。
補償から賠償へ
  • 1995年、『二二八事件処理及補償条例』が制定・公布され、「財団法人二二八事件紀念基金会」が設立された。条例は、2007年に名称が『二二八事件処理及賠償条例』と改められ、現在に至るまで犠牲者に対する賠償を行っている。
国家紀念館
  • 1946年に台湾省参議会が設置された場所に、2011年、「二二八国家紀念館」が開館した。ここは、二二八事件後に多数の省参議議員が行方不明になったり指名手配された歴史をもつ重要な現場の一つ。

 

教科書に記述された歴史

歴史の教科書は、史実に忠実であるべきです。しかし、国立編訳館が発行する国定教科書だけが学校で使用されていた時代、学校では台湾の歴史を教えることができなかっただけではなく、どの学年の教科書でも二二八事件が扱われていませんでした。1980年代末からの一連の民主化運動によって台湾の政治的、社会的雰囲気が変わり、1990年にはわずか58文字でしたが、初めて高校の歴史教科書に、事件に関する記述が現れました。故意に忘れ去られた歴史を取り戻すことは、二二八事件の記憶を公開する第一歩となりました。続く1995年、教育部が「一綱多本政策」を実施。各学校で教科書を選択できるようになったことから、事件の輪廓が学校教育によって次の世代へと伝わる機会が生まれました。各時期の高校の歴史教科書から、過去と向き合い、歴史を学んでいきましょう。

 

1947年
  • 台湾近代史(簡略)/2月28日二二八事件勃発
1949年
  • 台湾近代史(簡略)/5月20日 戒厳の実施
1962年
  • 高校で歴史がどのように教えられたか/民国51年(1962年)版課程標準-教育部より「中学課程標準(=中学向けの学習指導要領)」が発表された。歴史教科では主に若者が担う民族復興の責任を教え、「台湾光復」、「中国への復帰」等についてのみ触れられ、二二八事件への言及はなかった。
1971年
  • 台湾近代史(簡略)/10月25日 中華民国、国連脱退
  • 高校で歴史がどのように教えられたか/民国60年(1971年)版課程標準-1968年より義務教育が9年となったのに合わせ、教育部は「高級中学課程標準(=高校向けの学習指導要領)」を改訂したが、このときもまだ二二八事件には触れられていない。しかし、国際情勢を反映し、「中国への復帰」は「中華民国への復帰」と改められた。
1983年
  • 高校で歴史がどのように教えられたか/民国72年(1983年)版課程標準-『高級中学法』に従い、教育部は「高級中学課程標準暨実施辦法(=高校向け学習指導要領及びその実施方法)」の改訂を発表したが、まだ二二八事件についての記載はない。
1987年
  • 台湾近代史(簡略)/2月28日「二二八和平日促進会」が発足。初めて「二二八事件」を掲げてデモを行う。7月15日 戒厳令解除。
1988年
  • 台湾近代史(簡略)/李登輝氏が第7代総統代行に就任。総統として初めて二二八事件に対する見解を発表。台湾省文献会により、台湾各地での聞き取りが始まる。
1989年
  • 台湾近代史(簡略)/台湾初の民間による二二八紀念碑が嘉義市彌陀路に落成。
1990年
  • 台湾近代史(簡略)/立法院において、初めて二二八事件犠牲者に対し起立黙祷を行う。歴史の陰影から抜け出したいという人々の願いに応える。三月学生運動(野百合学生運動)。
  • 高校で歴史がどのように教えられたか/戒厳令解除前後の民主化運動と1990年代に政府が初めて二二八事件に言及したことなどにより、二二八事件はもはやタブーではなくなり、高校の教材にわずか58字であったが取り上げられた。
1991年
  • 台湾近代史(簡略)/第一回国民大会にて『中華民国憲法』増修条文及び『動員戡乱時期臨時条款』の廃止が可決。李登輝総統の第8代総統在任期間中、行政院に「二二八事件専案小組」が設立。
1992年
  • 台湾近代史(簡略)/行政院により『二二八事件研究報告』が発表。
1993年
  • 高校で歴史がどのように教えられたか/民国72年(1983年)版課程標準-『二二八事件研究報告』発表後、二二八事件前の台湾の状況、罪のない人にも被害が及んだこと、行政院が「二二八事件専案小組」を立ち上げたことが教科書に新たに記載された。
1994年
  • 台湾近代史(簡略)/時報文化出版より行政院『二二八事件研究報告』504頁が出版。
1995年
  • 台湾近代史(簡略)/国による初の二二八紀念碑(記念碑のみで碑文無し)が台北新公園に完成。李登輝総統が初めて政府を代表し、二二八事件の犠牲者家族及び全国民に謝罪した。立法院において『二二八事件処理及補償条例』が可決成立し、毎年2月28日が和平紀念日に制定された。しかし、記念日のみで休日ではなかった。「財団法人二二八事件紀念基金会」が設立され、補償の申請受付及び審査認定、記念行事や真相調査等を行う。
  • 高校で歴史がどのように教えられたか/研究報告の出版、総統の謝罪、補償条例の成立等にともない、教科書ではこうした内容が扱われるようになったほか、戦後初期の特殊な軍政一元化体制だった台湾省行政長官公署や、「祖国復帰」に対して「台湾同胞」が大きな失望を抱いたことなども言及された。教育部は教科書の選択を可能とする「一綱多本」方式の採用を決定し、歴史教育における「党国体制」の枠組みからの離脱に向けて一歩前進した。
1996年
  • 台湾近代史(簡略)/「台北新公園」を「二二八和平公園」と改名。
1997年
  • 台湾近代史(簡略)/二二八事件50週年。和平紀念日は国定の休日となり、台北二二八紀念館が開館。
1998年
  • 台湾近代史(簡略)/『戒厳時期不当叛乱暨匪諜審判案件補償条例』公布。
1999年
  • 高校で歴史がどのように教えられたか/民国88年(1999年)版課綱-民国84年(1995年)版「高級中学歴史課程標準(=高校歴史教科の学習指導要領)」の「一綱多本」を原則として編まれたもので、戒厳令解除後初めての「課綱(=学習指導要領)」の改訂となった。2月27日に発生した闇タバコ取締を起因とした衝突と、翌日の長官公署での発砲事件が二二八事件勃発の引き金となったこと、事件後の統治当局の事件処理が粛清による身柄の拘束、理不尽な審理など不当なものであったことが追加されたほか、陳儀、柯遠芬、彭孟緝等の高官の過失にも触れている。
2000年
  • 台湾近代史(簡略)/教育部により「推動人権教育委員会」設立。
2003年
  • 高校で歴史がどのように教えられたか/教育部により「普通高級中學課程暫行綱要」草案が発表された。台湾史が独立し、明末以後の中国史(中華民国史を含む)が近代世界史とされたこと、台湾地位未定論が取り入れられたこと等が賛否を呼び、2004年11月になってようやくオンライン上で公告された。
2005年
  • 高校で歴史がどのように教えられたか/教育部により「普通高級中學課程暫行綱要」が修正発表され、翌年から適用された。
    民国95年(2006年)版暫定課綱-二二八事件に関する説明がより詳しくなった。戦後初期の台湾と中国の文化が異なっていたこと、政府が言語の問題を理由として外省籍の高級官僚の比率を引き上げていたことなどを初めて指摘したほか、犠牲者の名前(王添灯)も公表した。
2006年
  • 台湾近代史(簡略)/『二二八事件責任帰属研究報告』が財団法人二二八事件紀念基金会により出版。事件の責任は蒋介石に帰属すると明確に指摘。
2011年
  • 高校で歴史がどのように教えられたか/民国101年(2012年)版課綱-政治、経済、社会文化等の面から、戦後初期の台湾人の期待と失望を説明。事件の背景、導火線、政治交渉、武装鎮圧、そして事件の影響と処理など、順を追って事件の展開を説明した。
    行政院が「十二年国民基本教育実施計画」を採択し、2014年8月より実施することに。新たな学習指導要領では、「民国95年版暫定課綱」以来の教育改革が後戻りし、台湾を主体とする歴史観から中国を主体とするものとなり、歴史的言説の脈絡が変わった。
2012年
  • 台湾近代史(簡略)/行政院により「二二八事件受害教育文化機構復原辦法」が公布。
2013年
  • 台湾近代史(簡略)/大学生により第一回「共生音楽節」が開催。
  • 高校で歴史がどのように教えられたか/教育部は、教育部外に「検核小組(=検討グループ)」を設置すると発表。学習指導要領の微調整を行い、翌年1月に審議を終えるとした。
2014年
  • 台湾近代史(簡略)/『海峡両岸服務貿易協議(海峡両岸サービス貿易協定)』に反対し、大学生や市民団体が約1ヶ月にわたり三一八運動(ひまわり学生運動)を展開。
  • 高校で歴史がどのように教えられたか/教育部は「十二年国民基本教育(=12年間の義務教育)」を軌道に乗せるため、教育現場からの求めに直ちに応じることを理由に「高中国文及社会領域微調課綱(=高校の国語及び社会分野の学習指導要領の微調整案)」を可決。翌月に公布、2015学年度より実施すると定めた。「十二年国民基本教育」を実施。
2015年
  • 台湾近代史(簡略)/高校の学習指導要領微調整案に反対し、約3ヶ月にわたる抗議が行われた。微調整案の内容と手続きの不透明さが争点となった。
  • 高校で歴史がどのように教えられたか/「高校向け学習指導要領微調整」反対運動-学習指導要領の微調整にあたり、二二八事件は単独の事件とされた。「民国101年(2012年)版課綱」では民主政治の項目で、第二次世界大戦終結後の台湾政治の変遷とともに事件が論じられたのと異なる扱いになった。研究者は、二二八事件を単独の事件とすることは、歴史の文脈から外し、意図的に権威主義統治から切り離そうとするものだと指摘した。
2016年
  • 高校で歴史がどのように教えられたか/教育部は「微調整版」の学習指導要領を撤回し、2016学年度より「民国101年度版課綱(=2012年版学習指導要領)」に戻すことを決定。
2017年
  • 高校で歴史がどのように教えられたか/教育部は「十二年国民基本教育課程綱要総綱」の修正を発表。2019学年度より、学年ごとに段階的に実施することとした。
2019年
  • 高校で歴史がどのように教えられたか/民国108年(2019年)版課綱-「十二年国民基本教育課程綱要」を正式に実施。

台湾の教育カリキュラムは「課程標準(=学習指導要領に相当)」の規定に依って実施され、幾度かの改訂がなされてきました。「九年一貫カリキュラム」の実施にともない、高校のカリキュラムも変更されることとなり、「課程標準」にかわり「課程綱要」が採用され、台湾の各学校、学年のカリキュラムの形式や内容に非常に大きな改革がもたらされました。1995年、「高中課程標準修訂委員会(=高校「課程標準」改訂委員会)は、「社会の変容と発展を鑑み、開かれた多元的な社会の求めに応じること」を目的とし、学習指導要領の原則改訂の策定に取り掛かりました。以降、高校のカリキュラムは数回の改訂が行われ、歴史観や用語等についての議論が噴出しましたが、独立した考え方や分析力を養うという方向に向かって議論が行われたことで、歴史の教科書における二二八事件の描かれ方や説明が次第に完全なものとなり、学生たちは台湾の傷ついた歴史をより包括的に理解できるようになりました。

 

今後を担う世代の育成

史実に基づいた教科書は、歴史を知る上での第一歩です。どうすれば未来を担う世代が真相への好奇心をもてるように導けるでしょうか。皆様の考えと合うところに、自分の年齢層のステッカーを貼ってください。
* 20歳以下-ピンク、20-40歳-緑、40-60歳-青、60歳以上-黄色。

  • 参考となる図書目録を提示する
  • 事件の因果関係に関する実例と証拠を挙げる
  • 口述資料を引用し歴史的な雰囲気を形成する
  • より多くの犠牲者及び家族の物語を補充する

 

新世代の勇気と真相究明

歴史は過去を記録するだけではありません。さまざまな形式の創作作品に、各世代にとっての歴史的真相を反映することもできます。1953年、蔡瑞月は舞踏作品『傀儡上陣』において、絹の糸でダンサーを操るという表現手法を用い、国民党政府が若い母親を迫害した青春の悲しみを描きました。戒厳令が解除されると、台湾の文壇、映画界においては、呉濁流の小説『台湾連翹』、侯孝賢の映画『悲情城市』等の作品が反響を呼んだことで、より多くの人々が過去に注目するようになり、次第に成熟した歴史的視点が現れるようになりました。文献に基づいた小説、漫画作品や多くの研究を重ねたすえの映像作品が制作され、こうした作品はインターネットを通じて、さらに多くの議論や再考がなされるようになりました。二二八事件をテーマとした作品を通して、作者たちがどのようにこの歴史的課題を解釈したかをご覧ください。


小説
李昂「彩妝血祭」・1996

『北港香爐人人插』に収録。内容は二二八事件に関する活動を主軸とし、性自認等のテーマにも及んでいる。象徵や隠喩の手法を用い、二二八事件における無数の死傷者の悲しみや罪なき人への謂れなき不当な扱いへの思いを描いている。作品発表時に著者は、この作品は評価を得ようとしたものではなく、「抑圧されることと圧迫されることは永遠のテーマだ」ということを伝えようという固い思いで執筆したと述べている。2011年、オーストリアのリンツ州立劇場バレエ団の芸術監督である林美虹によりバレエ作品「新娘妝」に改編され、 2019年には高雄衛武営国家芸術文化センターで上演された。



楊小娜『緑島』・2016

物語は1947年2月28日から始まる。女主人公の第一人称の視点で、医者一家である蔡家三代を描く。個人の人生と複雑な感情にも言及し、作品の行間には歴史の真相を全て知る作者の視点が描かれ、事件当時、個人レベルでは気がつかなかった暗黒の史実を、全て読者に明らかにしている。女主人公は結婚し米国へ渡ったが、特務による脅威と監視に遭い、二二八事件で収監された政治犯の父親に対する気持ちに変化が生じる。書名の『緑島』には、政治犯を収監した緑島監獄と白色テロという2つの政治的な意味が隠されている。今日に至っても、二二八事件は多くの人々の家において過去のものとはなっていない。


林剪雲『忤:叛之三部曲首部曲』・2016

『忤』では、二二八事件発生前後の社会の雰囲気の違いに焦点があてられる。屏東の万丹地区の家族の出会いや別れの悲喜を主題とし、植民地と移民の物語を副題とし、統治者が変わり抑圧される登場人物の心の変化を描く。日本の高等教育を受けたという人物設定も白色テロの時代に日本で行われた台湾独立運動の伏線となり、生活の基本的な権利、尊厳を得るために積極的に働きかけ、労を惜しまない当時の台湾の人々の精神が描かれている。作品では、品のある台湾語によって対話がなされ、台湾人のアイデンティティーをも暗示している。


柯宗明『陳澄波密碼』・2018

画家の陳澄波(1895-1947)の人生を主軸とする。物語は一組の男女が絵の修復をするところから始まる。陳澄波を取り巻く時代の変化、例えば日本留学中の思想的な啓蒙、社会主義的思想をもつ友人の存在、彼らが戦後の政情の激変でもたらされた困難や選択にどのように向き合ったかを知ることで、文化や国籍に関するアイデンティティーにさまよっていた当時の台湾の人々の状況を描くと共に、痛みに耐えてきた事件の犠牲者の勇敢な魂を記録しようとした作品。


音楽

メタルバンド「閃霊楽団(ソニック)」「暮沉武徳殿」・2014
「烏牛欄大護法」・2018

「暮沉武徳殿」はファースト民謠アルバム『失竊千年』に収録。主人公は第二次大戦で南洋に出征し、戦火から無事故郷に戻ってきたが、戦後、国民党政府による権威主義統治下において、日本の皇民であると銃殺されてしまった。これは、当時多くの台湾の人々の身に降り掛かった二二八事件、白色テロ時代の恐ろしい境遇で、台湾人は自らの運命を決められないことを隠喩している。この作品に出てくる武徳殿とは埔里の武徳殿のことで、1937年に南投郡役所により建てられた。二二八事件の際には、二七部隊がこの武徳殿を指揮拠点とし、後に国軍と烏牛欄で衝突。これを「烏牛欄の戦い」と呼ぶ。

「烏牛欄大護法」はアルバム『政治』に収録され、二二八事件における「烏牛欄の戦い」を描く。二七部隊は烏牛欄吊橋の地利的な優勢を利用し、40人の部隊で国軍700人に対抗した。国軍に膨大な死傷者を出したが、残念なことに最後は挟み撃ちに遭い、弾が尽きたため、武器を埋めて解散逃走した。閃霊楽団はこのアルバムをリリースするに当たり、6組のミュージシャンにそれぞれの解釈で演奏してもらったことがSNSで注目を集めて話題となり、「烏牛欄の戦い」もより多くの人々に知られることとなった。


労動服務「人権地景」・2016

「人権地景」はバンド「労動服務(Community service)」の最初の作品。台湾を変革するために尽力し、デモを行った社会運動家に敬意を示した作品。歌は二二八事件、1979年の橋頭事件及び美麗島事件から民権運動等が行われた高雄の重要なシーンを歌っている。歌詞の前半は、二二八事件の発端となった闇タバコ取締りによる衝突、和解のための談判、軍による鎮圧、学生による自衛組織の結成などの流れを具体的に歌い、最後は「毋通袂記(忘れるな)」と繰り返す。民主主義への路には、多くの先人が先頭に立ち政府に抵抗してくれたからこそ、今、若者たちは自分が歌いたい歌が歌え、自分が書きたい作品を書くことができるということを覚えてほしいという願いが込められている。


周定邦Chiu Tēng-pang『BOK血Ê孔嘴Exuding wounds』・2019

周定邦が自ら作曲、演奏、歌う長編叙事詩的な作品で、1947年に発生した二二八事件の一部始終を歌う。1945年、日本が戦争に負け、台湾籍の人々の祖国復帰から始まり、戦後の台湾社会の状況と人々の心の変化、二二八事件の勃発、陳儀による派兵と大虐殺、二七部隊による武力抗争までを描く。アルバム名の「BOK血Ê孔嘴」は、傷口から溢れ出る血という意味。事件から70年以上経過しても、台湾の人々の傷はまだ癒えていないことを象徴している。アルバムは、序詩、歌仔頭、第一部「狗去豬来迎祖国(犬去りて豚来たり祖国を迎える)」、第二部「起霧的島嶼(霧が立ち込める島嶼)」、第三部「湧血的傷口(血があふれる傷口)」、第四部「勇敢的台湾魂(勇敢な台湾魂)」、歌仔尾という構成になっている。


アニメ
中華文化総会xTaiwan Bar『転型正義(移行期正義)』EP1・2019

2019年、中華文化総会は知識理性型のアニメ『転型正義』を制作発表した。アニメを通して、台湾の若者たちに台湾で発生した歴史をより理解してもらい、忘れられがちな出来事を再考してもらうのが狙い。3本シリーズのアニメは、「真相、責任究明、名誉回復」という3つの重要な任務をもつ。客観的な視点から切り込み、正反合の論述を展開。台湾が現在直面している移行期正義の状況を示し、史料を用い、ソフトなストーリーで話を進めることで、各行動の背後にある動機を探り出し、移行期正義の実践は犠牲者とその家族のためだけにあるのではなく、社会がともに傷を癒やすことにあるということ伝える。


漫画
阮美姝x張瑞廷『漫話二二八』,2005

阮美姝監修、張瑞廷作画。台湾で初めて二二八事件を主題とした漫画。原作者の阮美姝は、二二八事件は台湾史上、忘れてはならない悲劇で、モノクロ漫画の形を通して、より多くの若者に歴史を知ってもらいたいと願う。第一集と第二集に分かれ、第一集では事件の描写に重点がおかれ、シンプルなラインで描かれた今にも動き出しそうな画を通し、文字を読むのが苦手な人でも事件を全体的に理解できるようになっている。第二集では、阮朝日、王添灯、湯德章等の犠牲者それぞれの物語に焦点が当てられ、当時、国民党政府が行った暴力による鎮圧を描いている。(*日本語訳は2006年に『漫画 台湾二二八事件 』として出版された。)


杜福安『烈火中的二二八』・2012

漫画を通して読者を事件が発生した時代へと導き、二二八事件発生の原因と事件後を描く。細かく丁寧なペンタッチで1940年代の台湾を再現し、当時の台湾各地の社会情勢、国民政府による傍若無人ぶりや鎮圧の場面を描く。また、独裁政権に抵抗しようとする当時の台湾の人々の果敢な試みや決意が再現され、読者はあたかも歴史の現場に立ち会っているかのような感覚になる。マクロヒストリーの文化的視点から見ると、二二八事件は2つの異なる社会文化の衝突と言えると研究者は指摘する。そうした意味で、この作品は明確に事件の歴史的意義を描き出している。


林莉菁『我的青春、我的FORMOSA』・2012

自伝を漫画にしたもので上、下二冊に分かれる。上巻は「縫上新舌頭」と題する。「縫上新舌頭(古い舌を切り新しい舌を縫い付ける)という言葉で母語が奪われたことを象徴し、言葉や文化が取って代わられた時の不安を表現」し、戒厳令下の子供時代の境遇を描いた。下巻の「悪夢醒来」は台北第一女子高校での生活から始まる。1980年代の終わり頃は、ちょうど戒厳令が解除され、新聞発行規制(報禁)や新規政党の結成禁止(党禁)も解かれ、台湾社会が激しく揺れ動いていた時期で、国民党史観による歴史教育と二二八事件の真相との齟齬に焦点が当てられている。本書に描かれている著者の各段階の成長の記憶と、その過程で遭遇した文化的対立と自己弁証は、筆者の政治的な覚醒のプロセス、つまり台湾人アイデンティティーの問題を明らかにしたものである。


Tseng Feng『偉大而美好的種籽:重絵二二八看見人民迸発的力量』・2019

2018年、著者が友人と1ヶ月間SNS上で「228シリーズのイラスト」を発表しようとしたところ、ネット上で思いもよらない論戦が繰り広げられた。これが本書の企画のきっかけとなった。本書で描かれている絵やテキストは、読者を二二八事件当時の時空へと引き戻し、読者はかつて立ち上がり、勇敢に抵抗し、命をこの島嶼に捧げた人々がいたということを知る。彼らは偉大で美しい種となり、根を下ろし、花を咲かせ、実を結び、そして再び種となる。歴史は実は我々から遠くないところにあり、誰もが偉大で美しい種となり、世代が進むに従ってどこにでも花を咲かせ続けることができということを強調している。


ゲーム
施特朗(Shi Ter Run)『血腥之日二二八(Vampire Martina-Bloody Day 2.28)』・2019

作者は抵抗こそが数百年来の台湾歴史の主軸となるものだと考える。なかでも二二八事件は特別なものだとし、より多くの人々が台湾の歴史を理解できるよう、これをゲームにした。プレイヤーはオランダ時代にヨーローッパから台湾に移民した女吸血鬼を演じる。その背景には台湾人がもつ民族性が描かれる。各難関で出てくる魔王は、それぞれ二二八事件当時の一部の外省人の考え方を反映したものだ。双方の立場の違いが引き起こした対立は、正義と悪という対立構造ではないとすることで、プレイヤーは二二八事件の因果関係をより理解できる。2019年にネットで体験版が公開された。正式版は2020年にリリース予定。

 

これからの私たち

人々が二二八事件、民主主義、人権等のテーマについてより多く語り始めるとき、それはかつて記憶に埋もれていた物語を語るというだけでなく、これからの世代の人々が歴史を読み解く際の栄養分となります。一人が100歩前進するのではなく、100人が1歩前進することで、より多くの人が歴史の真相に関心をもつようになればなるほど、過去の傷を癒やせるようになります。過去と未来を結びつけ、正反対の見解を疑い、そして認めるという対話は、歴史の言説を再考する際の一つの媒介となります。この新しい時代の波の下に生まれたあなた、二二八事件に関する見解を聞かせてください。

 

読者の視点を投書する

以下の質問をよく読んで考えてみてください。パンフレットの点線に沿って切り取ってください。展示会場に置かれている、質問番号の「同意/不同意」と書かれた透明のアクリルボックスに入れて下さい。いっしょに歴史を解読してみましょう。

  • 質問一:間違いは許せるが、歴史の傷は忘れてはならない。(同意する/同意しない)
  • 質問二:二二八事件に向き合う際に、私たちは前を向くべきで、後ろ振り返る必要はない。(同意する/同意しない)
  • 質問三:歴史の真相を見つけ、加害者の責任を追及することが和解の出発点だ。(同意する/同意しない)

 

再び二二八について語る

二二八事件は、近代台湾史上における非常に大きな悲劇です。今後、再び権威主義が復活したり国家暴力が行われたとき、私たちはどのように立ち向かうべきでしょうか。あなたの考えを書いてみてください。